安戸池(あどいけ)に生きる−塩田・漁業・ハマチ養殖の歴史−
東かがわ市歴史民俗資料館
キャラクター「ぽん太郎」
東かがわ市に住んでいるぼくたちには身近な安戸池(あどいけ)。
今はハマチで有名だけど、昔は漁業や塩作りも行われていたんだ。今からいっしょに勉強しよう。
安戸池(あどいけ)ってどんなところ?

海のすぐとなりにある「潟湖(せきこ)」
安戸池は、もともとは海の一部でした。
長い時間をかけて、波が運んできた砂などが海との間に積み重なり、外の海と切りはなされてできた浅い湖です。
完全に海と分かれているわけではなく、今も海の水が行き来しています。
そのため、安戸池の水は海水です。
生き物が育ちやすい、おだやかな水の中
東かがわ市歴史民俗資料館
キャラクター「親正さん」
安戸池は、まわりを陸や砂に囲まれているため、外の海のように大きな波が立ちません。
いつも波がおだやかで、水深(水の深さ)も浅いのが特ちょうです。
そのため、太陽の光が水の中までよく届き、魚たちのエサになる「藻類(もるい)」がよく育つんだよ。
最新の技術を取り入れた安戸塩田(えんでん)【江戸時代のはじめ】
安戸池のまわりでは、むかし、塩作りが行われていました。
そのとき、となりの兵庫県にある「赤穂(あこう)」というところから「入浜式(いりはましき)塩田」という最新の技術を取り入れました。
入浜式塩田って??
東かがわ市歴史民俗資料館
キャラクター「権平さん」
しおの満ち引きを利用して、自動で海水を塩田に入れるというぎじゅつなんだ。
塩が前よりもたくさん取れるようになったよ。
下の地図は、今から200年以上前の、安戸池近くにあった塩田の地図だよ。
地図の上の方にある海から、塩田へ海水を引き入れている様子が分かりますか?

80年前の様子を見てみよう!
【80年前の安戸池周辺の様子】
昔の地図には新しく作った塩田(新浜)、古い時代に作った塩田(古浜)が書かれていたよ。
【2009年 安戸池周辺の様子】 提供 国土地理院

80年前はふたつ池(ふたご池)があったんだ。今はキャンプ場のある大池しかのこっていないね。
古い写真と古い地図をくらべると、どこになにがあったか分かりやすいね。
東かがわの発明王-久米通賢(くめつうけん)-【江戸時代の終わり】

安戸池のある東かがわ市(旧:馬宿)で生まれた偉人です。
星やカレンダーを研究する「天文学者」でありながら、みんなの暮らしを便利にする農具や鉄砲(てっぽう)などもたくさん作った、まさに「発明王」でした。

通賢さんは、香川県の坂出にものすごく大きな塩田を作ったことで有名です。
引田の塩田の様子を、幼い頃から見ていたからかもしれませんね。
この坂出の塩田には、通賢さんならではの新しいアイデアや工夫がたくさん取り入れられ、のちに「久米式」と呼ばれて日本の塩作りを大きく進化させました。
ボラの聖地だった安戸池【明治時代〜大正時代】
江戸時代に塩田で栄えた安戸池ですが、時代が変わると、今度は「ボラ」がたくさん集まるところとして有名になりました。

ボラは出世魚といって、大きくなるたびに名前がかわるよ。
ハク(稚魚)→オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ(成魚)→トドのじゅんだよ。

しかし、大正時代になるとボラが昔ほど取れなくなってしまったんだ。
そのせいで漁師さんのくらしも苦しいものだったよ。
つくる漁業へ 野網和三郎(のあみわさぶろう)の挑戦【昭和のはじめ】

和三郎さんは不作に苦しむ引田の漁師さんたちのために、
「とる漁業からつくる漁業へ」
という強いキモチで安戸池でハマチの養殖(ようしょく)に挑戦したんだ。

世界ではじめて海の魚の養殖に成功したよ。和三郎さんの成功によって、今では海の魚の養殖が当たり前になったんだ。
むかしも今も、みんなの宝物の海!

江戸時代の塩田、
明治や大正時代のボラ漁、
そして昭和に始まった世界初のハマチ養殖。
安戸池は時代に合わせて形を変えながら、たくさんの人に豊かな海の恵みを届けてくれました。
東かがわ市の先人たちが、知恵と努力でつないできたこの美しい安戸池を、これからもみんなで大切に守っていきたいですね!
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更新日:2026年09月28日