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-広報 2005年 3月号 テキスト版-

2005年3月号 テキスト版
 
【特集】  ---ひとつの校歌が消える日---
 
 【半数が高齢者】
 
 市の南西、徳島との県境。讃岐山脈の山ふところに抱かれた五名地区。日下、鈴竹、大楢、長野、払川の5つの集落で構成され、人口は415人で、65歳以上の高齢者が211人(17年1月1日現在)と半数を超え、市内の中でも高齢化が進んだ地域です。
 過疎化の進行に歯止めがかからず、近年小学校児童も急激に減少し、児童数は五名小学校本校に現在5人。今春、3人が中学生になると2人しかいません。同校鈴竹分校は12年度から、長野分校は14年度から休校となっており、児童が全くいない状況です。
 
 【減る子ども】
 
 明治15年、五名山村至道小として設立された五名小は、ベビーブームが頂点になった昭和35年度には243人が在籍していました。しかし、38年度には200人を割り、45年度にはとうとう2ケタに。その後も減り続け今年度からは一ケタの状態になっていました。
 今後も地区の人口増加や児童の増加が見込まれないため、地域住民や児童の保護者らで組織する「五名小学校の将来を考える会」と市教育委員会が協議した結果、五名小学校、同小鈴竹分校、同小長野分校、五名幼稚園、同園鈴竹分園、同園長野分園を3月で廃校、廃園することが決まりました。
 
 【閉校を決断】
 
 児童の減少が止まらない中で、地域では平成14年から本格的に五名小の今後の検討を始めました。「五名小学校の将来を考える会」の会長を務める小北逸郎さんは「子どもを増やしたい。地域の共有の問題として何かいい方法はないかと会を立ち上げた。しかし子どもが増えるのは夢。現実的ではない」と当時の苦悩を話します。 また「10年、20年先、学校の存続やPTA活動は不可能だろう。子どもたちのことも考えると閉校せざるを得なかった」と苦渋の決断をした胸の内を。
 地域の中にも少子化の進行する流れを実感し閉校やむなしという空気はありました。30数年に渡る教員生活のほとんどを五名の学校で過ごした木村フクエさんは「寂しい現実だが、子どもたちの幸せを考えれば」と地域の決断を理解します。
 
 【休校か廃校か】
 
 閉校が決まったのと同時に、休校か廃校かの協議も進みました。(別表参照)入学したいという児童が1人でもいれば小学校が再開できる休校か、閉校にし使わなくなった校舎を地域交流の場として活用していくか。答えを模索するため、小北さんは、県内ばかりか徳島県にも足を伸ばし、閉校となった学校を精力的に見て回りました。
 休校となった場所で実感したことは「地域が静かになってしまっている」。背景として、休校の場合、教育施設という性質があるため、地域で使おうとするといろいろな制約があることが挙げられます。さぬき市の南川自然の家など活用例が多い廃校の今を目にした小北さんは「学校はなくなるが、ここで思い出をつくり続けたい」。こう考え、廃校を選び、五名小を新たな交流の場にする道を歩み始めました。
 
 【4月から福栄小へ】
 
 廃校後、五名小の児童2人は約7キロ離れた福栄小に通学することになり、この準備が進んでいます。4月から環境が変わる児童同士の親ぼくを深めるため、「じっくり触れ合える機会を設けたかった」と福栄小学校長は交流学習を企画しました。
 1月、5年生の藤塚譲君と4年生の福光美佳さんは、福栄小児童との交流学習を3週間体験し、同じ教室に机を並べて授業を受けました。これまでにも合同の修学旅行や年1回の交流を行うなど馴染みの深かった両校だけに児童同士は、勉強を教え合ったり、休み時間に一緒に遊んだりと打ち解けました。授業を見守った福栄小学校長は「すでに福栄小の児童という感じ」と親ぼくの深まりを実感し、4月を「福栄小から見れば校区が広くなったことで新しい交流が生まれる。春からが楽しみ」と期待します。
 
 【小規模校の活動】
 
 同級生のいない生活をこれまで送ってきた2人の児童にとって集団での生活はどうだったのでしょうか。_ 廃校を意識しながら福栄小での生活を過ごしてきた2人の児童に交流学習の印象を聞くと、藤塚君は「みんなでしたサッカーやドッジボールがとても楽しかった」、福光さんは「グループ学習でみんなと意見交換ができた。いじわるする子なんていなかった」と集団ならではの楽しさを笑顔いっぱいに話します。「不安はある」と聞くと、少し時間をおいて「周りに合わせないといけないので、自分のペースで取り組めない。やっぱり五名がいい」と照れくさそうに答えてくれました。
 五名小には「緑の中で優しさを 雪はねかえす温もりを 自然の中でたくましく」という理念があります。五名小学校長は、集団の中で切磋琢磨する機会が少ないことは小規模校の弱い部分だと認識したうえで、この理念に沿って積極的に校内外での活動に取り組みました。_ 6月に開館したサンポートホール高松での音楽劇出演。同ホールのこけら落としとして行われた現代版「二十四の瞳」といえる内容の創作型音楽劇に200人以上の出演者の一員として参加しました。1000人を超える観客の注目を浴びながら、全校生5人で力強く歌った「おはようの歌」。6年生の村上哲也君は「練習も大変だったし、緊張もしたけれど、とてもおもしろかった」と力強く振り返ります。
 7月に行った五名小での1週間に及ぶ宿泊学習「お泊りキャンプ」は、多くの児童が思い出深かったと話しています。食事を作ったり、地域内の職場を体験したり、自転車で地域内を回るオリエンテーリングをしたりしました。6年生の岡田鮎奈さんは「うどんを作ったとき、地域の人たちにうまいねとほめられた」と満足そう。
 こうした積極的に外に出て、自分をアピールする経験が集団での生活に順応する結果となったのではないでしょうか。背景には、児童一人ひとりの個性を把握し、きめ細かな指導ができる小規模学校ならではの特徴があります。小さな学校では、児童一人ひとりが動かないと何も進みません。「今まで培ってきた前向きな気持ちや素直な心でもっと自分の良さを伸ばしてほしい」と五名小学校長は児童のこれからを期待します。
 
 【近づく別れの日】
 
 「今日の気温はマイナス4度です」。地域にこだまする児童の声。五名小の放送室から児童が毎朝、温度をマイクに向かって知らせています。
廃校になると児童の姿はもちろん、この声を聞くこともできなくなります。学校近くに住む小北かよ子さんは「生活のリズムになっていたチャイムや学校を感じる音が無くなることが寂しい」とつぶやきます。地域とともにあった学校と別れなければならない日は着実に近づいています。
 五名小最後の卒業生となる小北あいりさんは「みんなと声をあわせて校歌が歌えなくなるのは、寂しいけれど、校歌のオルゴールはいつまでも大切にしたい」と校歌への愛着を言葉にします。
 学校が地域間の絆として大きな役目をしていただけに、地域の今後を心配する声はあります。寺田校長は「学校がなくなっても、地域をあげてのにぎやかさをいつまでも持ち続けてほしい。五名にはあたたかさと元気がある」と言い切ります。
 廃校になっても、五名から離れる地域の人はいません。それは、学校がなくなっても変わらない人情深く人懐こい五名への愛情というものがあるからではないでしょうか。