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-広報 2006年 12月号 テキスト版-

第45号(2006年12月1日発行)
学校に残る学びの歴史
 市内の学校や市歴史民俗資料館に残された「学校に関わる古いものを探してみよう」と取材に出かけたきらりはまちくんとまちかど記者の皆さん。東かがわ市の歴史を語ってくれるものが見つかったかな?
 
学校で響くチャイム
のんちゃん 下の写真の半鐘、お寺で見かける鐘によく似ていますが、これは何ですか?
はまちくん 今の学校では、授業の始まりや終わりなどを知らせるために、チャイムが鳴っていますね。昔は現在のようなチャイムではなく、木の板(分厚いもの)や半鐘を木槌のようなものでたたいて知らせていました。その後、下の写真のようなかねに変わり、しだいに電気が普及してベルになり、現在のようなチャイムへと変わりました。
なおちゃん このかね、見たことがあるような気がするんですが?
はまちくん 昔は学校にいる用務員さんがこれを鳴らして時間を知らせてくれていました。現在では、プールでの休憩を知らせるため、一部の学校で使われているそうです。
 
学びの教科書
小学校の教科書
 
はまちくん 次は教科書です。探してみると明治時代のものをたくさん見ることができ驚きました。
 昔の教科書は、教科の呼び方が異なっていたり、学習の内容が今とは違っています。たとえば、算数は「算術」、国語は「読み方」、道徳は「修身」、音楽は「唱歌」と呼んでいました。理科の教科書(高等小学校1学年用・大正3年)には「田植」「雑草の害」などが。また鉛筆書帖(明治43年)には円錐や円柱の書き方のほか、桶やかまどの書き方もありました。大川郡特別教務研究会編の裁縫学習帳(年代不明)では裁縫の仕方がこと細かく記されています。
のんちゃん 昔の小学生は、日常生活にすぐ生かせるようなものを習っていたんですね。
なおちゃん だから、昔の人は何でもよく知っているんですね。
はまちくん また、和紙に印刷された漢字辞典がありました。部首ごとの画数ごとに整理されたものです。サイズは縦12・5cm×横20cm×厚さ12cmで横長いものです。
 残念ながら表紙がないため、はっきりしたことが分かりませんが、これは明治の頃のものだと思われます。これとよく似ているもので「以呂波字引大全」というものがあったと聞きます。
 
 
高校の教科書は?
はまちくん 香川県立三本松高等学校の創立百周年記念資料館には、貴重な資料がたくさんあります。英語の教科書(明治45年)や日本外史鈔(明治44年)がありました。この日本外史鈔は漢文で内容が書かれていて驚きました。
 
市に関する教科書
はまちくん 市歴史民俗資料館には市に関係のある教科書が3点展示されています。
1つは、明治40年につくられた「女子国文典」という国語の教科書で、水主出身の三土忠造翁が著作したものです。他に多くの教科書の編纂にも携わりました。三土翁は香川県ではじめて大臣に任命された人でもあり、文部・大蔵大臣など歴任しました。
次は、「修身」の教科書(明治29年)で、白鳥湊出身の向山周慶翁が教材となっています。教科書には「公益」の項目に白下糖の製糖に成功したことが取り上げられています。
続いて、尋常小学校国語読本(昭和4年)には、「平和なる村」として小海(当時の小海村)が紹介されています。当時の内務大臣から模範村として選奨されたことで小海村が教科書で紹介されたようです。
え~け~ すごーい!昔の教科書から東かが市の歴史を知ることができますね。
 
紙は貴重なもの
はまちくん 今の子どもたちはノートを使っています。しかし、明治や大正、昭和初期の頃には紙はとても貴重なものでした。当時学校では、石盤という硬くて黒い石にろう石というやわらかく白っぽい石を使って書いていました。これは何度も書いたり消したりできる黒板のようなものです。古布を濡らすなどして消していました。表は無地で、裏面が2cm角の升目になっていて両面が使えます。
 その後の時代は、和紙を自分で切って重ねて、こよりで綴じて使っていたようです。そして和紙には筆で書いていました。
くぼっち  鉛筆では書きにくかったのかなぁ?
 
想いでの連合運動会
はまちくん 学校の大イベント「運動会」で興味深い話を聞きました。明治19年以降各地で開催されるようになった「運動会」。これを始めた理由は、体操による体位の向上のアピールの場を持とうということだったそうです。旧の大川郡では明治21年から連合運動会が開催されていたという記述が残っています。同35年には旧大川郡を3区に分け、同37年にはこれを7区に再編し、大川郡連合運動会を開催した記録がありました。これ以来、連合運動会はこの地区の恒例行事として定着したようです。しかし、この連合運動会は平成3年を最後に今は行われていません。皆さんにも、連合運動会にまつわるさまざまな思い出があると思います。
え~け~ 私が小学生の頃は、本町小学校で行われていて、児童はそこまで歩いて行きました。
くぼっち  私は他の学校の子と友達になれるのが楽しみでした。
はまちくん 児童が連合運動会という形で交流していたんですね。
これは明治時代の連合運動会の種目の一覧です。今とは競技種目も異なりますね。
 
 
あなたの小学生時代って
 次に、各年代ごとに小学生のころの話を聞いてみました。
 
86歳 女性
・習字の練習は新聞紙を半紙の大きさに切り、表紙に半紙を置いて綴じて使っていました。そのころ新聞は貴重で、購読するのは一部の家庭だけでした。そのため新聞紙を5銭で譲ってもらい練習し、清書用だけ学校から半紙を2枚もらえました。
・文房具はとても貴重でした。文房具を買うため、手袋のつみ返しなどの手伝いをしてもらったお小遣いで買っていました。自分で働いて買っていたので、とても大切に使いました。
・運動会では文具品(鉛筆やノート)を賞品にもらえるのが楽しみで、がんばりました。
 
4歳 男性
・おもちゃは身近にあるものを子どもなりに工夫して作り遊んでいました。身近なものが何でもおもちゃになりました。
・学校へ履いていくトンボ草履も自分で作っていました。戦時中だったので靴は配給制で、クラスに1~2足ぐらいしかなかったんじゃないかなあ。
・食べるものはほとんど家で作ったものでした。野菜はもちろん、鶏からはタマゴを、ヤギや牛からはミルクがとれました。果物も木からとって食べるし、このあたりにはサトウキビを多く栽培していたので、おやつに食べていました。
・学校からはまっすぐ帰ることはなく、友達や上級生、下級生と遊びながら帰っていました。
・家の手伝いもよくしました。子どもにも年齢に応じた仕事がありました。家畜の世話や田畑の手伝いもしました。
・1年生ではじめて習った国語の教科書は「サイタ サイタ サクラガサイタ」で、カタカナから習いました。
 
65歳 女性
・兄弟の多い家は、農繁期になると学校へ幼い弟や妹を連れてきて、講堂に子どもを集めてみんなで子守をしました。
・教科書が今のようにそれぞれにはなく、兄弟・いとこ同士で回して使いました。
・履物は、ゴムの靴やわら草履(鼻緒に布が混ぜてあったものもありました)。
・低学年のころはもんぺをはいて学校へ行っていました。この頃でも、着物で学校に来る子もいました。3年生で小海小学校から引田小学校へ転校しましたが、ここには制服(セーラー服)がありました。
・戦後、物が不足していたので、母親がよく「もったいない」と言っていました。洋服も兄弟やいとこからのお下がりだし、その服もつぎはぎをして使っていました。
 
 
52歳 女性
・母親に作ってもらったランドセルを背負って小学校へ通いました。4年生からは布製の手提げかばんに変わりました(三本松小学校)。ちょうど、2ページの最初の写真のようでした。
・給食のパンは固いコッペッパン、それにおかずと脱脂粉乳でした。この脱脂粉乳の表面に膜が張るのが嫌いでした。給食は、学校の中にあった給食室で作っていました。ご飯給食は、米を家から持ってきていました。昼前がくると、給食のいいにおいがしてきたのを覚えています。
  
はまちくん 皆さんが子どものころはどうでしたか?
 今回紹介したものはほんの一部です。懐かしいもの、珍しいものがたくさん見つかりました。また、若い年代の人にとっては、はじめてみるものばかりだったのではないでしょうか。一度家族で子どものころを思い出し、話し合ってみませんか。おじいさんやおばあさんに話を聞いてみると、また新しい発見があるかも。
 今回いろいろな話を聞いて感じたことは、昔の人はものを大切に使っていたんだなあ。そして、身近にあるものを工夫して遊びに使っていたんだなあということでした。
 教科書、ノート、鉛筆のどれをとっても昔の子どもたちにとって、とても貴重なものだったのです。だからこそ、このように大切に保管されていたんだと思います。そう考えると、今はなんでもすぐ手に入るからといって物を粗末にしているような気がします。ところで、あなたの周りには、まだまだ使えるはずのものがそのままで放置されていませんか。
 
 
 
 
 
 
 
 
市内各小学校の沿革
※紙面の都合で、明治25年以降(一部20年以降)で掲載しています。また、出典資料により校名・年代ともに相違がみられるものがあるが、現段階で妥当と思われる校名・年代で表記しています(?は不明)。
 
大内地区
丹生村立丹生尋常小学校(明25)-同丹生尋常高等小学校(明36)-同丹生国民学校(昭16)-同丹生小学校(昭22)-大内町立西小学校(昭29)-同丹生小学校(昭31)-東かがわ市立丹生小学校(平15)
誉水村立誉水尋常小学校(明25)【水主分教場(明25)・笠松分教場(明28)                           -同笠松尋常小学校(明39)-同笠松国民学校(昭16)-同笠松小学校(昭22)-大内町立南小学校(昭29)-同大内南小学校(昭30)-同笠松小学校(昭31)-同誉水小学校へ統合(昭41)
・西村分教場(明25)】-同誉水尋常高等小学校(明36)-同誉水国民学校(昭16)-同誉水小学校(昭22)-大内町立東小学校(昭29)-同中央小学校(昭30)-同誉水小学校(昭31)-東かがわ市立誉水小学校(平15)
三本松村立三本松尋常小学校(明25)-三本松町立三本松尋常小学校(明              31)-同三本松尋常高等小学校(明36)-同三本松国民学校(昭16)-同三本                 松小学校(昭22)-同東小学校(昭30)-同三本松小学校(昭31)-東かがわ市                 立三本松小学校(平15)
 
白鳥地区
松原村立松原尋常小学校(明25)-同松原尋常高等小学校(明36)【分教場(明40~?】-白鳥本町立白鳥本町尋常高等小学校(明42)-同白鳥本町国民学校(昭16)-同白鳥本町小学校(昭22)-白鳥町立本町小学校(昭30)【はくちょう分校(昭41~平7休校)】-東かがわ市立本町小学校(平15) 
白鳥村立白鳥尋常小学校(明25)-同白鳥尋常高等小学校(明36)-同白鳥国民学校(昭16)-同白鳥小学校(昭22)-白鳥町立白鳥小学校(昭30)-東かがわ市立白鳥小学校(平15)
福栄村立福栄尋常小学校(明25)【入野山分教場(明25~26)・東山分教場(明25~26)】-同福栄尋常高等小学校(明36)-同福栄国民学校(昭16)-同福栄小学校(昭22)-白鳥町立福栄小学校(昭30)-東かがわ市立福栄小学校(平15)
五名山村立長野尋常小学校(明24)-五名村立長野尋常小学校(大12)-同五名尋常高等小学校(昭4)【長野分校(昭4)・鈴竹分校(昭4)-同五名国民学校(昭16)-同五名小学校(昭22)-白鳥町立五名小学校(昭30)-東かがわ市五名小学校(平15~17) 17年3月同校閉校
五名山村立鈴竹尋常小学校(明24)-五名村立鈴竹尋常小学校(大12)-同五名尋常高等小学校へ統合(昭4)
 
引田地区
相生村立相生尋常小学校(明25)【吉田分校(明25~37)・川股分教場(明26)独立 同川股尋常小学校(明26~大5) -同相生尋常高等小学へ統合-同相生尋常高等小学校(明38)【吉田分校(明38~41)】-【川股分教場(大6~14)】-同相生国民学校(昭16)-同相生小学校(昭22)-引田町立相生小学校(昭30)-東かがわ市立相生小学校(平15)
小海村立小海尋常小学校(明25)-同小海尋常高等小学校(明38)-同小海国民学校(昭16)-同小海小学校(昭22)-引田町立小海小学校(昭30)-同引田小学校へ統合(昭39)【小海教場(昭39~40)】
引田村立引田尋常小学校(明20)-【同引田簡易小学校が統合(明24)】-同引田尋常高等小学校(明35)-引田町立引田尋常高等小学校(明42)【分教場(南本町 明43~大10?)・(川向 大3~10?)】-同引田国民学校(昭16)-同引田小学校(昭22)-東かがわ市立引田小学校(平15)
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TEL 0879-26-1214